なぜパチンコ店に行ってしまうのだろう
パチンコの魅力とはなんだろう
学生から会社員、主婦や年金受給者、生活保護の方まで様々な人間が集うパチンコ店。みなさんの顔をみて正直楽しそうな顔をしてる人をあまりみかけない。何というか職業安定所に仕事を探しに来ている人々のような不安と疲れの表情によく似ている。
パチンコ店にいる方の表情をよく見てみる↓
外に座り込んでタバコを吸ってる人
台に八つ当たりする人
店内を徘徊する人
パチンコ店という空間にいる人間がつまらなそうに見て感じてしまう。笑顔でパチンコを打つものでもないのだろうが、まるで魂が抜けてしまってるような人や今にも暴れ出しそうな剣幕の人もいる。

でもパチンコというものに魅力がなければこれだけ多くの人々が集まる訳がないですね
パチンコ台の進化はしてるが
選んだ台にに座りお金を入れる。ハンドルを回し玉を飛ばして同じ数字が3つ揃えば大当たり。
このスタイルはセブン機が登場してからは大きく変わりはないように思う。
変わった点というより進化が目に見てわかる1つが液晶画面だろう。
昔は名刺サイズ程度の液晶画面でシンプルな図柄が回転するだけだった。あっさりとした演出で大当たりする事が普通であった。

過度に気持ちの浮き沈みも無く遊べたようにも思えます
今やパチンコ台一面が液晶画面のようになり、まるで映画を観てる気分になるだろう。大きな画面と綺麗な液晶で演出を鑑賞。激しい振動や爆音の中で数字が揃うのを待つわけだが、勿体ぶる時間の長い演出も多く緊張と刺激が強すぎて心臓に悪い。
大当たりした際は張り詰めた気持ちが解放され幸福感で満たされる。

演出と大当たりのバランスに魅力を感じてるのは間違いないように思う。
しかし液晶画面上の演出を楽しむだけであれば、ゲームセンターのパチンコでも十分
ゲームや自宅で観る映画、スマホ画面でも十分楽しめる。
楽しむことが目的であれば、わざわざパチンコ店に行くよりもクオリティーが高く面白いものはあるのでは?となる。
なぜパチンコ店に行ってしまうのか?
それはパチンコ店に行かなければ得られない価値があるからだ。
パチンコ玉の存在
パチンコを打つにはパチンコ玉が必要だが、まずはこの玉を手に入れる必要がある。
お金を払い玉を貸出してもらうのだ。
そのパチンコ玉で遊戯をする仕組みだ。
ゲームセンターのメダルゲームと同じような感覚である。
玉を貸出できたらハンドルを回して玉を飛ばす。スタートチャッカーに玉を入れることが出来れば抽選され当落が決定される仕組みだ。その演出として液晶が動き始め打ち手を楽しませる。
大当たりすれば今まで閉じていた入賞口が解放され、そこをめがけて玉を打ち込む。
入賞口に入った玉はパチンコ台の下皿に吐き出される。そこから玉を抜きドル箱へガラガラ音を立てて流し込む。この音とドル箱に玉が溜まる光景が快感だ。

パチンコ玉といえば、ドル箱と言われる箱に銀玉が名一杯入ってる光景を思い出す。出玉が増え続ければドル箱は2つ3つと増えていき積み重ねていく醍醐味もあった。
現代はドル箱をほとんどみかけることはない。出玉は自動で計数されカードに記録される。
カードに記録される事により、正確な玉の数を把握できる事や台の移動も素早くできる事はメリットだが、やはりドル箱をつみあげてこそパチンコと思う人も多いだろう。
データランプにも出玉数とドル箱換算の画像が表示されたりして、自動計数で増える数字表示をみてるだけでも気持ちが高揚する。 慣れというものなのか実際に玉を触らずドル箱を積み上げずとも満足度は十分なのだ。

玉の代わりに数字の増え幅で喜ぶようになってますね。出玉(数)はパチンコにとって大きな魅力です
お金にならなければ意味がない
パチンコ玉をジャラジャラと吐き出させる事は快感であり、パチンコの醍醐味だ。
しかしこれだけではパチンコの魅力としては弱いと思う。
お金を払い玉を貸出→打ち続け演出を何百と見続ける→大当たりして出玉を得る
この工程を踏んで出玉を景品に交換しお金を得ることがパチンコの最大の魅力だ。
家でテレビゲームをしてもお金が減ったり増えたりする事はない。
ゲームセンターであれば遊んだ分だけお金が減るだけだ。
しかしパチンコは違う。
勝てばお金が入る仕組みになっている。
パチンコは遊戯と名のつくギャンブルであり、負けてお金を失うこともあれば勝って大金を得る可能性もある。

よほどの投資がない限り、出玉を大量に獲得できれば勝ちとなるだろう。
そして、その出玉を換金すればお金が手に入る。
結局は、儲かるかもしれない、、これに尽きる。
演出を見ながらハラハラドキドキするのも、当たればお金になるからだ。
どれだけ玉をジャラジャラ出そうが、
レアな熱い演出を観ようが、
何時間もパチンコを打とうが、
金にならないのであれば、、どうだろう?
パチンコをする意味があるのだろうか。

出玉数×〇円=〇〇万円、、、、、、、、、、、、、、こんな感じで頭で計算しちゃいますよね
勝っても負けても行ってしまう
一度でも大勝ちすれば懐に余裕ができる。
セコセコと働いた金ではなく遊んで得た金であり、使い方もいつもと違い大胆になる。
例えば20万円勝ったとすれば、次に10万円負けたとしてもまだ10万円残るという考えになる。パチンコ台につぎ込む心意気が変わるのだ。
前回に大勝ちした際のイメージが頭に残っており、あの熱い演出をもう一度見たいとワクワクと期待してしまう。
遊びながら金が増えるのだから無理もない。
また勝てば当分金に困らないと独自の算段を立て始める、、、

長いことパチンコをすれば悪運強く何連勝もし大金を手に入れることが1度2度は必ずある。
しかしそのお金は最終的にどうなったかといえば、やはりパチンコ店へ戻っていく運命である。
わかってはいたけど、そうなるまでやめられないのだ。
逆に大負けてしまったらもう行かない、、、と考えても数日経てばやっぱり悔しくて取り返したくなる。次勝てば前回の負けを無い事に出来る、、、、そんなことを考えてしまうだろう。
取り返すつもりがまた負けてしまい、なんで行ってしまったのだろうと後悔しパチンコをやめる決意をするのだ。
そして1週間も経たず禁パチに失敗し、リベンジとしてまたパチンコへと向かう。そこで勝てば気持ちの余裕が生まれ次回も行ってしまうし、負ければ取り返すためにまた行ってしまう。

1度パチンコに行ってしまえば勝っても負けても次につながる恐怖、、お金がかかると人間は壊れます。 怖い=魅力
パチンコの魅力とは
さえない表情でパチンコ店に集う人々は、楽しくて来てる訳ではなく、来ざるをえない状況であり自覚している人もいる。例えば、朝起きて市役所に行く予定だったのに、道中のパチンコ店に目が行き、ふらっとパチンコ店に吸い込まれしまう。
つい熱くなってしまい結局、市役所の用事は後日に変更してしまう。
これはパチンコに行く気もなかったのに突然に衝動にかられ自分が悪魔に操られてる状態だ。脳内に眠っていた刺激と記憶が起こされて何よりも最優先されてしまう。
これは極端な例だが、パチンコで大勝ちしてる最中に両親に不幸があり病院にすぐ来るように連絡があった場合どうするか?という質問に確変が終わり次第向かうと答える人がいるという事。

パチンコをする人であれば気持ちはわかるのではないだろうか。
普通に考えればあり得ないと思うことが、パチンコ店の中では通用しない。試練の部屋と思っていいだろう。
一度味わった快感と臨時収入のフュージョンは普通の人間の意志では太刀打ちが難しい。
今は、だれでもパチンコの実践動画をアップすることが出来、皆が手軽に視聴することが出来る。お金を使わずにパチンコの演出などを事前に調べられるし、自分がパチンコを実際に楽しんでるようにも感じれる。
だがしかし、それでは済まない。
動画で観た内容を実際に自分が体験して儲けたい衝動にかられ、いずれパチンコ店へと足が向く。動画だけで済めば問題は無いが結局は自分がやらなければ気が済まない。

動画も誘発剤の1つになってしまっていますね
大事な金をかけて、綺麗な液晶画面で当たりか外れか演出で気持ちを揺さぶられ、絶望と期待を繰り返し、当たれば念願の大量出玉、出玉が増えればお金も増える、お金があれば贅沢できる、パチンコの軍資金ができる、これがパチンコの魅力だろう。
実際には、ほとんどの方がトータル負けしてお金を失っている。
お金を増やしたいのにお金を失うのだ。
でもわかっているのだ、みんな勝てないことは。
どんなに負けようが、その日を一喜一憂でき、その日だけでも勝った気持ちになればそれでいい。そうすれば過去の負けは忘れられるし、また明日パチンコをするお金ができるのだ。

冷静さを欠き、小学生でもわかる損得勘定もできなくなるのがパチンコだ。魅力に取りつかれるのは勝手だが、お金の大事さを考える時間をぜひ作ってもらいたいと思う。
りゆぽむ

